ソノヒノ

その日の思考と行動

アマチュアの視点で語ることの価値

マチュアの視点で語ることの価値について。

 

私はプロの批評家ではない。

以下の記事を見て、そう強く実感した。

 

僕がプロフェッショナルの批評行為で1番やっちゃいけないと思ってるのは、フェティッシュを持ち込むことなの

菊地成孔が語る

 

もちろん映画の見方、作品の見方、物語の受け取り方は自由だ。

ただ、私はフェティシュを語りたいし、趣味的でいたい。

 

物語を語ること。

それを生業にできたら嬉しい。

しかし、そうなったとしても今の立ち位置は崩したくない。

 

何も考えずに「楽しかった」という感情的な感想と、

物語の創り手、分析・批評する立場から見た構造的な見方と、

その中間でありたい。

 

誰かへの価値提供という側面を抜きにして、自分にとってなぜあんなに映画が面白かったのか、あるいはつまらなかったのか、を考えることは愉悦である。

 

押井守の言葉「フェティッシュを語ることは、自分を語ることだ」というのが脳から離れない。

フェティッシュの大本にたどり着くことで、自分でも気づかなかった自分の見方、常識、偏見に気づく。

 

山登りをして山頂についたときの開放感、見え方に近のかも知れない。

これ以上先にはいけないし、ココから見える景色が全てだろう、という。

 

山の大きさは個人の感性と才能によるものだろうし、それは多角的だ。

 

新たな作品を通じて、自分の中の次の山を登る。

山登りを通じて、自らの内面世界に広がる新たな景色を見ること。

 

それが創作を見るひとつのキッカケだし、価値である。