ソノヒノ

その日の思考と行動

ルールとはそもそもが大きい意味での自分を自由にするためのものだ

ルールとはそもそもが大きい意味での自分を自由にするためのものだ。

 

誰かから決められたことだけがルールではない。

集団で生きるための最大多数の不快を避けるための決まりごとは、

自分を必ずしも開けたものにはしないのだ。

 

自らの弱い意志、慣性に慣らされた貧弱な習慣。

そういったものと、理性が考えるあるべき未来とのギャップを埋めるもの。

それがルールだ。

 

生きたい未来は、現実の延長線上にはない。

瞬間で、一瞬で、スイッチを押したら未来にたどり着けるか?

否。

 

ルールは自身の意思を、ひ弱な覚悟を矯正する装置だ。

こちらに行きたいという甘い気持ちを殺し、

あちらに行きたいという本当の感情を味方にする。

 

問題はいつも同じ。

ルールを破っちゃったほうが幸せなんじゃないか?

という内なる愚者の振る舞いだ。

 

ニュースの表面的な情報に反応する大衆のような存在が、

自分の中に一定数いる。

彼らの声は大きく、彼らの数は多く、その暴動は簡単には止められない。

 

ルールという警察により、ガチガチに縛り付けても、

暴動が起きてしまう。

 

いかに大衆を騙すのか?

自分の内なる世界を騙すのか?

 

「やりたい」という声に対して「やるな」といって、

なんとかなると思うのは、あまりにも思考として幼稚だ。

正論を言ったから通じるのだというのはあまりにも自分勝手な論理だ。

 

自分の中の大衆が納得する形で、

騙し騙し、徐々に変化を受け入れさせて、馴らすしかない。

 

ルールを作る時に大切なのは、その観点。

設定するのが大事ではなく、実行するにはどうするか、

ルールを守らせるにはどうするかを考えるのが一番大事だ。

 

全てはルールの先にある自由のために。

理想の現実のために。